昭和50年月日不明 特別奉修委員        テープ№50-051-B面-3
                         入力者松本正宏

 功徳と言う事を申しますが、この功徳を持ってあまねく一切を及ぼすという、功徳なると言う事は、そのー必ず無条件と言う事にならなきゃ、功徳にならないと言う事ですね。条件があっては功徳、徳にはなりません。もう徳になるのは、もう必ず無条件のもの。
 例えばこの特別奉修委員の方達がまあ御付合いでというのであったり、条件があったりしてはならない。これは皆さんの場合惟はもう無条件で教会の事を願われたり、また親先生の健康の事を願われたりと言う所から、この特別奉修委員のね、方達のあの出来たのですけれども。
 惟はもう本当にだからあの、無条件か又でなかったらまあー何ですかあの、御付合いと言った様な事の、まあー二つに分かれるのだろうと思うのですけれども、例えばまあ在るとするならば、大体皆さん無条件で、あのー皆んな奉仕をなさっておられる。
 無条件の報謝。それが功徳になる。徳になるというのは絶対無条件の物でなからなければ。もう条件がちょっとでもあったら、功徳、徳にはならないと言う事なのです。ね。もうその事を頂きました。
 だからお参りをする御願いをする、だからそういう信心では絶対徳にならないと言う事になりますね。おかげを頂かんならんという、もうーそのー、頂く為にお参りをすると云うのですけれどもね。ですからやっぱり徳を受けたと言う人達の場合なんかは、そう言う所がすっきりとはっきりしておる様ですね。もう無条件での信とか。奉仕というかね。それが功徳になる。